静かに寄せてくる流氷は、氷の塊というより、雪原のようでした 

2011, 01. 31 (Mon) 18:00

30日の記事の続きです。

浜頓別町(はまとんべつちょう)から枝幸町(えさしちょう)のほうに移動すれば流氷を見られる可能性は高いかと、車を走らせていると、朝陽の光が強くなってきて、流氷がきていることを目で確認することができました。

流氷

流氷


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タグ:枝幸町 宗谷

朝日に照らされた流氷が見たい!! 

2011, 01. 30 (Sun) 18:00

前日に、流氷が宗谷岬まで接岸したというマイミクさんの日記を読んで、プチ流氷の旅を決行。
(日帰りで見てくるだけだけど、家にこもる時間が多かった私にとっては、旅に出掛けるぐらいの意気込みでした。


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タグ:浜頓別町 宗谷

湯船につかって厄落とし 

2011, 01. 29 (Sat) 18:00

本当に効いた!超カンタン実践風水!

♪厄落とし風水?湯船につかりましょう♪

風水では、シャワーですませるのはお勧めしません。
体の汚れは取れても、厄(不運やイライラなど)まではシャワーでは落ちないと考えるからです。
夜寝る前に湯船でゆったりつかるのがいいとされています。



PCD5.jpg

タグ:風水

最北の海水浴は、冷たい!! 

2011, 01. 28 (Fri) 18:00



最北にして稚内唯一の海水浴場「稚内市坂の下海水浴場」のついての動画です。
なかなか“稚内感”満載で、イイですよ


日本最北の海水浴場(坂の下海水浴場)で海水浴とお魚ウオッチヲタキッシュ(日本最北のヲタク)

タグ:稚内市

リンク集 -豊富町-  

2011, 01. 27 (Thu) 18:00



公式の町のサイト。
「社会体育だより」「社会教育だより」などでは、町内で活動している教室、サークルなどを知ることができます。


リンク集

生まれて初めての記憶 

2011, 01. 26 (Wed) 18:00

トラックバックテーマ 「生まれて初めての記憶は何?」

子どもの頃、長く住むことになる天塩川沿いの一軒家に住む前は、名寄川近くの団地に住んでいました。

ある日、一直線に長く伸びる坂道を上から見て、
「この道を進んでいったら、どうなるのだろう」
と思いました。
初めての冒険です。

三輪車で勢い良く、走り降りました。
そのまま先へ、三輪車を漕いで進みました。

名寄川の川辺に着きました。
何かをして川で遊んでいたような大人がたくさんいました。

「ここまでよく来たね」
というようなことを言われた気がします。
「早く帰りなさい」
とも言われた気がします。

“帰り道”という意識はありませんでした。
ただ来たところを戻れば何とかなるだろうと思っていました。
印象に残っていた、件の長い直線の坂道が見えるまでは結構かかったような気もします。
印象深い目印の風景になかなか戻れなかったことと、途中から雨が降ってきたのもあって、心細くなっていたようにも思います。

やっと家に帰れるというはっきりした気持ちになれる坂道まで戻ることができたのですが、帰りは登りになっているその坂は、三輪車に乗って上がることができませんでした。
とにかく家に帰らなきゃという気持ちで、雨の中、三輪車はその場に置いていくことにしたのかもしれません。

家に戻ったら母がいて、母にも、
「よくあんなところまで行ったね」
と驚かれました。
もっと怒られるかと思っていましたが、そんなに怒られなかった感じだけは残っています。
三輪車を置いてきたことを怒られると思っていましたが、そのことは全然怒られず、遠くに行ったことのほうを怒られました。
(当然ですね・・)

いくつぐらいの初冒険だったのでしょうね。


もうひとつ、初めての記憶かもしれないものがあります。

こちらは、写真のように断片的にしか記憶に残っていないのですが。
もしかしたら、後から思い込んだ妄想かもしれません。

祖母に連れられ、病院に母を見舞いに行きました。
妹が生まれたのでしょう。

「もう帰るよ」
と祖母に言われました。
「なんでお母さんと一緒に帰ったらだめなの!?」
と駄々をこねたような記憶がうっすらとあります。

妹が生まれた時、私は3才でした。


このどちらかが初めての記憶だと思うのですが。

母に恩返ししたかったなという想いの次に、母からたくさん話を聞いておきたかったなという寂しさが残ります。


天使の梯子

天使の梯子、礼文島。 '06.10.15

献上造り、圭水神社、シャケバイ 

2011, 01. 25 (Tue) 18:00

鮭ものがたり 大地と海と神と】 (北海道人

母なる西別川をたずねて

 西別川で生まれた鮭は、4年ほど北太平洋を旅して帰ってくる。その回遊経路は、ほぼ確定していて、どの海を通るかもわかっている。調査によると、西別川の鮭の通る道すじは、どこもエサの豊富な「海のゆりかご」だという。
 海に出た鮭たちは、いろいろなエサを食べて育つ。アミやエビなどの甲殻類も食べる。エビをたくさん食べた鮭は、身の色がずいぶん赤くなるそうだ。赤い色の鮭は、焼くと甲殻類特有の甘い香りがたちのぼる。日本人は大のエビ好きで、この手の香りにはとても弱い。西別川の鮭も、このような甲殻類をよく食べているのだそうだ。


 鮭は川に上りはじめるとエサを一切食べない。だから河口から産卵地までの距離が長くなればなるほど苦しい旅になる。鮭たちは、その旅程をちゃんと身体に記憶しているらしい。
 西別川の河口から産卵場所までは、ゆうに100キロを越す。長い道のりに備え、西別川の鮭はみな筋肉を鍛え上げ、満タンのエネルギーを蓄えて前浜に帰って来る。身離れが良いという西別の鮭の特徴は、この鍛え上げられた筋肉によるものだ。


宗谷地方でも、「○○で獲れた鮭は美味しい」「△△よりも○○で釣った鮭の方が美味しい」などという話を聞いたことあります。
『こんな狭い地域で、そんな差が出るわけないでしょ』と、その具体的な地名も忘れてしまったのですが、日本海側とオホーツク海側どちらで獲るかによって味に違いが出るなど、そういうことはあるのかもと思い直しました。


 西別川の鮭が一躍有名になったのは、寛政12年(1800年)、のちの函館奉行・戸川安倫が国後出張の帰りに西別川の塩鮭を持ち帰り、将軍・徳川家斉に献上したことからである。家斉はいたく気に入り、以後毎年将軍に献上されることになった。


現在もこの献上造りで作られた西別鮭が販売されているそうです。

西別鮭 献上造り (別海漁業協同組合)


そして、個人的にとても気になるのが、

「圭水神社」。

「圭」は「鮭」からきているようです。

西別川源流空 ぼんやりな日々

圭水神社の写真あり。
それも興味深いのですけど、梅花藻(ばいかも)の花も気になります。


「魚と卵」 第85号 1960(S35)年 虹別事業場創立70周年記念号 より独立行政法人水産総合研究センター さけますセンター

圭水神社は、昭和6年に建立されたそうです。


日本一のサケのまち 標津町にてシャケバイ体験記

秋サケ漁の時期に、集中して働いてもらう仕事を「シャケバイ」と言うらしい。




遡上する鮭

Photo by そうや手づくりギャラリー

こちらは、宗谷で撮影された遡上する鮭。

タグ:北海道 宗谷 神社

日本海とオホーツク海の境界線 

2011, 01. 24 (Mon) 18:00

最北ネット 第36号稚内海上保安部

サハリン南端の西能登呂(クリリオン)岬と北海道北端の宗谷岬を結んだものが、日本海とオホーツク海の境界線だそうです。

宗谷岬に立てば、日本海とオホーツク海の両方を眺められる、ということですね。

ちなみに、これは2005年にその位置に変更になったそうで、それ以前は、サハリンのクズネツォワ岬と稚内市のノシャップ岬を結んだものが境界線だったようです。


日本海とオホーツク海の境界線稚内観光協会


海軍望楼から見た宗谷岬

Photo by そうや手づくりギャラリー

海軍望楼から見た宗谷岬。

タグ:稚内市 宗谷